平成29年度事業完了
平成28年度事業完了
平成27年度事業完了
平成26年度事業完了
平成25年度事業完了
平成24年度事業完了
平成24年度事業完了
平成21年度事業完了
平成18年度事業完了
平成20年度事業完了
平成19年度事業完了
平成18年度事業完了
平成16年度事業完了



 平成元年(1989)に『郷土誌すえひろ』を編纂したとき、「末廣村」という文字を史料の中に探しつづけました。しかし、『永禄年間小寺職隆之レヲ領シ』との記録はありましたが、「郷トハ郡ノ小名ナリ村ヲ積ミテ郷トナシ、郷ヲ積ミテ郡トナス」と云われたように、それを行政の単位として位置づけた『末廣村』の初見は、正保三年(1646)の播磨國郷帳でした。
 正保三年の郷帳によれば、私たちの末広区自治会は末廣村と記載され、村の石高は68石7斗3升3合。その内訳は、田12石2斗5升4合・畑56石4斗7升9合となっています。播磨國郷帳から推量すれば、約360年前の末廣村は山畑や焼畑など畑作が多いことがわかります。現在ある田圃の大部分は開墾されず、大方の村人は運上山に生計の糧を求めていたのでしょう。
 村の過去を詮索したとき、この狭い安富町域が為政者の分割支配下(幕府・安志藩・三日月藩・尼崎藩・大阪城代・京都所司代・老中役料)に置かれていたことに気づきました。現在にあっても世帯数千三百・人口六千余の小さな区域が分割支配を受けた結果、そこに住む人々に何をもたらしたでしょうか。少なくとも地域としてのまとまりを欠き、各領分間にはセクト主義による対立と排他的意識が培われ、村々と住民間に協調性も協力的行動意識も養われることが少なかったと考えられます。こうした精神的風土が地域を特色づける産業の発展を妨げ、生活向上への意欲と、文化的水準の高まりを阻害してきた側面を否定することはできないと思います。
 末広の山中から「アンモナイト」と化石が発見されました。上部二畳紀(古生層)の標準化石と鑑定されました。アンモナイトの化石とともに紡錘虫の化石も出ています。遠い昔、末広が舞鶴から延びる海の底であった証拠です。
 末廣村というムラは、もっと遠い昔からあったのかも知れませんが、末広の字名『末廣・國廣・
行成』などは、名田地名の名残りであるといわれています。探しあてた史料の中の末廣村は、明治22年(1889)の自治制度実施まで存在していました。自治制度実施後「宍粟郡富栖村大字末廣」となり、昭和31年(1956)安師村と富栖村の合併によって「宍粟郡安富町末広」とな
H18.9 末広区自治会
会長小林敏昭
り、平成18年(2006)3月、姫路市・安富町・夢前町・香寺町・家島町の一市四町が合併し、姫路市安富町末広として現在に至っています。
 私たちの末広地域は、過去に幾度もの行財政改革を実施し住民主役の地域づくり・ふるさとづくりを目指してきました。「末廣村明治の改革」「末廣村林野統一」「末廣村大正の民力涵養」「末広区昭和の改革」などがあります。詳しくは【郷土誌すえひろ】をご覧ください。
 かつての末廣村は、今、末広区自治会を組織し【新しいふるさとづくり末広地区実行委員会】を組織し、『…住んでいて良かった!…』『…これからも住みつづけたい!…』と思えるような地域づくりのため「末広地区平成の改革」に挑戦しているところです。




〒671-2413 兵庫県姫路市安富町末広 末広区自治会
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